スポンサーリンク
スポンサーリンク
こんにちは、ころです。
最近は、「ころちゃん」・「ゴロちゃん」・「ころカス」・「コロコロ」などと、コメント欄では呼んでいただいています・・・
今は、コメント欄は閉鎖中です。。。
嫁に内緒の借金400万円超を、FX・空き缶拾い・不動産チラシ配りの3本立てで返済していくため、日々奮闘しています。メインはもちろんFXです!
嫁に内緒の借金返済のためには、これ以上は負けられない。
本題はここからです。
私の少年時代のことを書かせていただきます。
超絶貧乏だった2人目のお父さん時代の話です。
オレの母親は、4回の離婚を経験しています。ということで、オレが『お父さん』と呼んだ人は4人もいます。
小学校2年生くらいの時から、この2番目のお父さんだったと思います。
毎日の暮らしがいろんな意味でもう超絶すぎて、記憶が曖昧になってしまっていますが。。。
その当時は、山の中の小屋のようなところに住んでいたオレ。
基本的には、父(2番目)・母・オレ・妹・妹・弟の6人で一緒に暮らしていました。
『基本的』というのは増えたり減ったりしていたから・・・父の方の連れ子が母の方に帰ったりとか、祖父母の方に行っていたりとか。。。また一緒に住みだしたりとか。
とにかく複雑でした。
いわゆる父親違いの兄弟姉妹ということでは、おそらく総数では補欠も含めた野球チームが作れる人数だと思います。
小屋のような家の広さは6畳一間とキッチン、そして物置きのような押入れ風の部屋がありました。
寝る時は、6畳部屋に4人で、後はキッチンに1人、トイレ前のスペースに1人という形でした。
誰が6畳部屋で寝れるのかを、争ったこともありました。
よく兄弟間でケンカをしたものです。
食べるものも十分になく、いつもお腹が空いていました。
近所に生えている雑草?のような草を採って飢えを凌いでいたのも事実です。
そして、
中学生になったオレは、毎日お弁当を持っていっていました。
持っていったお弁当のおかずはいつも玉子焼きだけでした。
もうおかずを買うお金もなかったのでしょう。
「おっ、こいつの弁当、また黄色だぜ!」
「ホントだ。卵しか入っていない。まっきっき。」
「おい、きいろ!」
『きいろ』
いつしかオレはこう呼ばれるようになっていた。
(クリックで読めます)
「いじめ」 まず私のブログ読者5000人の方に読んで欲しい。
関連コンテンツ